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思ったように行動すれば
個人主義。
人間のあるがままに考えれば
自由主義。
学級会で大和撫子たちに
批判されても
澄まして本を読んでいた。
卒業学年だというのに
試験が始まると
さっさと早退け
白紙で出した答案用紙もある。
新刊の
「風と共に去りぬ」が面白くて
三日も学校休んでしまった。
何もかもが
ベールのむこうにあるように
捕らえどころの無いもどかしさ
求め求めているのに
見知らぬ世界の出来事のように
現実と学校生活には垣根があった。
戦争の嵐の中でも
めざめゆく年頃は
確実に育っていった。
出征した先生のあとに
赴任してこられたI先生
「専門学校の生徒みたいだけど
キミのはそれでいいや。」
そういって帰してくれた。
学校の図書館からも
先生の下宿の本棚からも
むさぼるように持ち出した。
ツルゲネフも トルストイも
ゲーテも 古事記も
十六才の少女には理解しきれなくても
ひたすら読みつづけた。
どうして卒業できたのか
わたしにも分からない。
こんな生徒を理解してくれた
教師が存在したからか。
「仰げば尊し」を唄って
上京する春
「わたしは何も分からない
何を心の支えにしたらいいでしょう?」
「キミは頭だけが先に行っている。
だから、どんな経験も大事にし
経験からにじみ出た話を
小さなことでも素直に聞いてごらん。」
その言葉を胸にだいて
わたしは大人の世界に
足を踏み入れた。
戦争も激しくなり
大学は学徒動員で閉鎖同然。
女の子は働かなければ挺身隊に。
わたしも信託会社に席をおいたけれど
ひたすら文学にあこがれる娘が
お客様の封筒書きのあけくれに
なじむはずもなかった。
ゲーテやシルレルに
読みふけっていて
自分の小ささに愕然とし
向上を願っては壁にぶつかり
眠れない夜がつづいた。
神経衰弱と診断され
故郷に帰ったわたしは
師を訪れて訴えた。
そしたら
「どこでもいい電車に乗って
好きなところで降りてごらん。」
わたしはその一言にすがって
東武電車に飛び乗り
山の見える駅で降りた。
大平山という山すそに
ひろがる村だった。
スケッチする気にもなれず
小川の水にふれてみたり
空の蒼さにとけてみたり
土の上に座りこんで
ぼんやりしていた。
ふとみると若い夫婦が
田を耕している。
夫が牛の鼻づらをとり
妻があとからついてゆく。
ああ、この人達はおそらく
一生こうして耕しつづけ
一年に一度か二度町へ出かけるだけ
赤ちゃんをあぜ道に寝かせながら
育ててゆくのだろう。
でも何というたしかさ
どっしりと大地に足がついている。
そんなことを考えていたら
学校帰りの子供たちが寄ってきた。
すっかり仲良しになり
つぎの駅まで歩くと言ったら
道を教えてくれるという。
途中で
三時のこじはん(おやつ)らしく
おばさんたちが集まっていた。
額に汗して働いたあとの
明るい安らぎがみちていた。
おにぎりをご馳走になって
さよならをして
つぎの駅から電車に乗った。
何かが何かが私の胸に湧いて来た。
それが何だか分からない。
家についたら
その想いがとけてきた。
「私は急ぎすぎていた。
大地に足がついていなかった。
回り道をしているように思ったけれど
それがみんな経験なんだ。」
この発見でわたしのノイローゼは
吹き飛んでしまった。
素直に人の話を聞いてあげると
人から「しっかり者のおばさん」
みたいに言われていても
不幸が重なったばかりに
自分の針仕事で
子供を養わなければならなかった
苦しかった日のことを
しみじみと涙さえにじませて
語ってくれたおばさんもあった。
ああ、人ってみかけによらない
心の奥に入ってみなければ
噂などで決められない。
そうして人間て
みんなさびしく一生懸命
生きている。
私も精一杯生きてゆこう。
こういう思いが
インタビュアとして
人と逢う時
わたしの心の底に流れているようだ。
そうして
名声や座っている椅子に騙されないで
自分の心でたしかめて
人を見るようになった。
若い悩みの日に
私はいい師を持った。
三十年近い年月を経ても
私の中に若き日の教えは生きている。
高校生の修学旅行で
タバコを見つけたからと
停学や退学させたり
せっかくのいい芽を持っている子が
みすみす吹き溜まりみたいな学校へ
落ちてゆくのを見聞きすると
教師不在を感じさせられる。
もっと魂と魂でぶつかりあえる
先生と生徒なら
ゲバ学生も
産まれなかったのではなかろうか。
(S44.6.28)
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