未婚の母TOP

 

あっという間に時は過ぎ、物忘れも酷くなる今日この頃。(^-^;
私自身の心の記録の為に恋愛についてとか、その時々で感じた事、
思った事をひまつぶしを兼ねて書いてみるね。(#^_^#)

 

いくつになっても・・・ 分かる気はする・・・(^-^; 珍しく父の事・・・

親の責任って・・・3/25 言わなくちゃ分からない・・・3/25夜遊びの為の外国・・・3/25

慣らし保育4/5 お葬式4/27  うずら・・・ありがとう。6/4

 

 

いくつになっても・・・

上手に恋愛するのって、難しいんだよねぇ。
私は、ずっと思い違いをしてきたんだと思うんだ。
若い頃は「貴方の色に染められたい」なんて、尽くしたり何かしてあげる自分が可愛かったの。
でも、どんどんしてあげると、それが当たり前になっちゃって。
こんな筈じゃなかったんだけどなぁって、思いながら、毎度毎度の繰り返し。
多分、共依存だったんだよね。
「私がいなくちゃダメなのよ」「私を必要としているのよ」って。
誰かが側にいてくれれば、誰でも良かったんだと思う。
だって、その時は凄く好きだって思ってた筈なのに、いつもすぐ次がいたから・・・
と言う事は、やっぱり誰かが必要だったんだろうなぁ。( ..)ヾ 


今、夏菜が出来て、私を確実に必要としてくれている。
駆け引き無しで、愛情をしっかりと受け止めてくれる。
ふと、気づくとあれ、私ってこんなだったんだぁ、なんて遠い昔に戻ってる自分がいたの。
そう言えば、一人で何でも出来て、ご飯も食べられて、映画も見れて、
もちろん一人で眠れたんだよねぇ。(^^;;;
いつからそうじゃない自分を本当の自分だって思い込んでたんだろう。
ここしばらくずっと「私は一人じゃなんにも出来ない」ってさぁ。
きっと付き合った彼達はそんなこと言う私は信じられないだろうなぁ。
毎日いつでもどこでも一緒にいたがっちゃったから・・・
だってさぁ、一人じゃ寂しかったんだもん。(^^ゞ

人の気持ちって本当に不思議だなぁ。
その時の状況でこれしかないって感じていても、あとになると、なぁんだ、って。
あんなに好きだった筈なのにがまぁ、多い事。(^^;;;
いつのまにかすっかりみんな過ぎた事だわぁ。(*_*)

今は、想像がつかないけれど、きっとまた誰かに側にいて欲しくなるのかも。
いつでも誰かに求められたかったんだよねぇ。今までは。
多分、母が愛情深かったから、母を失って誰かに代わりになって欲しかったのよね。
そんなこと絶対に無理なのにね。
親の代わりになるぐらいの愛情なんてやっぱり無いんだもの。
持て余していた愛情を出せる相手が夏菜になっちゃったんだなぁ。
でも、これも気をつけてあげないと、夏菜がつぶれちゃうから。
適当に良い加減でって、結構難しい。
愛し過ぎても、心配し過ぎても、思い過ぎても・・・
「過ぎたらいけない」んだよね。
昔、誰かに言われた事が今分かってきたの。(^-^)

今まではこんなにしてあげてるのに、何で何でって一杯思ってた。
でも、してあげる事は相手の為じゃなくて、自分の為だったんだよね。
それに今、気が付いたから、沢山反省もしたわぁ。(^^ゞ
この事を忘れずに、夏菜にも接して行きたいと思ってます、はい。(^^;;;

 

<2000.1.28>

 

分かる気はする・・・(^-^;

あんまりテレビ見ないんだけどさ、最近小柳ルミコの話が出てるでしょ。
あの人もやっぱり共依存だったと思うけど、育ててあげなくちゃって思ったんだよねぇ。
「私が彼を育ててあげなくちゃ」「彼は私を必要としているのよ」
「私じゃなくちゃダメなのよ」「私がこれだけ愛してるんだから、彼はきっとずっと側にいる」なんて。
年が離れていると、結構これに陥りやすいと思うわ。( ..)ヾ


年下だけじゃなくて、ちょっと大人になれないピーターパンみたいな男。
こう言うのにも、弱いんだなぁ。(^^ゞ
夏菜パパの前は典型的ピーターパン。(^^;;;
年は8歳上だったけど、私が支えてあげなくちゃ・・・なんてね。(*_*)
毎度毎度進歩無かったんだよなぁ。σ(^◇^;)
その彼は、わか〜〜い女房がいてさ、家で甘えられない分、私に来てた。
とっても、好きだったんだけど、結局ダメだったなぁ。
彼女とはトレンディドラマのようなやり取りもあって、一緒に飲みにも行ったんだけどね。
結局、後になって、離婚しちゃったらしいけど。
あんなにときめいていた筈なのに、今はなぁ。( ..)ヾ


話がずれちゃったけど、全てを無かったことにするかみたいな条件って、分かる気はするなぁ。
だって、私はこんなに尽くしたのよ、貴方の為にってね。
別に欲しい訳じゃなくても、言いたくなっちゃうだろうなぁ。
でもさ、結局尽くすのも、お金やエネルギーを費やすのも、自分の為なんだよね。
だから、相手にどうこう言っても、本当は仕方の無い事。
でも、それを認めるのには、時間が掛かるんだと思う。
自分がしたかったから、したことなのにね。
見返りを求めてしまうのが、人間なんだよねぇ。(^-^;
なぁんて、分かった事を言えるようになったのも、最高の置き土産を手にしたからです。はい。

<2000.1.28>

 

珍しく父の事・・・

私の父は明治生まれで、父が56歳の時に私が生まれたの。
5年前に90歳で亡くなったんだけど。
母と父は21歳違って、母が18歳父が39歳で母は家出同然で結婚。
それでもあとは許して貰ってたんだけど・・・
母は良く「戦争で同じ年頃の人はみんな死んじゃって、他にいなかったのよ」って言ってた。
考えてみれば、今の私の年だから、そんなにジジィでも無かったのかもね。( ..)ヾ
21も下の女房に先立たれるなんて、思ってもいなかっただろうね。

父にとって母は娘のように可愛くて仕方無かったんじゃないかな。
母を育ててみたかったんだと思う。
母は大正14年生まれで当時働く女性は珍しかったのに、
父と一緒に新聞社を創めて、母はバリバリの職業婦人。
父は戦前の代議士で、でも夢ばっかり追ってちっともお金にならなかった。(^-^;
結局母が仕事してみんなを食べさせていたみたいなもんなの。
それも父がちゃんと後ろに控えていてくれたからだって、言ってたけどね。

父は昔で言えば、モボって言われたんじゃないかな。
私はもちろん若い頃は知らないけれど、結構パリッとしてたらしいわ。
父とは年が離れていたせいか、ほとんど会話らしい会話はしたことが無かったの。
私にとっては母が父であり母であったって言うか、神様みたいだったから。
でも、母が亡くなってからは、ポツポツと話すようになったけどね。
兄達3人は「おとうちゃま」「おかあちゃま」で育てられたのに、
丁度私の頃は「パパ」「ママ」が流行っていて、父は最初は嫌だったらしいのね。
それが、なんとか早く呼ばせようとして、自分から「パパ」って言い出したらしいわ。(*^^*)
だから、私だけはずっと明治生まれのおやじつかまえて「パパ」って呼んでた。(^^;;;
でも、大人になってからはほとんど「おやじさん」だったなぁ。(^^ゞ

いくつになっても、女は女らしくいるべきだって思ってたらしくて、
90にもなろうって言うのにさ、私に会うたびに「洋服はもっと明るい色を着なさい。」
「口紅はもっと赤い色にしたらどうだ」(丁度今みたいに白っぽいのが流行ってたの)
髪の毛がどうしたこうしたとか、まぁ、色々言ってたんだよ。(#^_^#)
死ぬまでちゃんと女の人を見ていたんだよねぇ。(^-^)
最後までしっかり男だったんだよなぁ。
もちろん只の好々爺になっちゃってたけどね。(*^^*)

父もずっと物書きで詩も書いていたんだよ。
なんだか夢見るじいさんの詩ばっかりだったけど、
今、兄が似たような詩を書き始めているの。(^^;;;
機会があったら、父の詩も載せてみようかなぁ。
実は自分でもちゃんと読んだ事が無いの。親不孝な娘です。( ..)ヾ

私も自分の事を手のひらで遊ばせてくれるような人に出会えてたら
人生変わっていたのかもしれないなぁ。(*^^*)
もちろん今が嫌って訳じゃないんだけど、伸ばしてくれる包み込んでくれる人に
出会える事は運もあったりするんだろうね。(^-^)
そう言う意味では母はとっても幸せな人だったんだと思う。

<2000.2.9>

 

親の責任って・・・

最近のニュースを見ていると、子供が被害を被る事件が多いよね。
自分自身のイライラや不満を反抗出来ない子供にぶつけて。
特に保護者の場合にはどんなに痛めつけられても子供にとっては
唯一の拠り所だから、それでも一生懸命愛されようとして。
最後まで救いを求めて泣いているのに。

どうしてその声が聞こえないほど、追い詰められてしまうのかな。
なんだか悲しすぎる。
親になるって、只、子供を作って食わせるだけじゃダメなのに。
自分がちゃんと親になる準備が出来ていない親が多すぎるのかもしれない。
「産んでやっったんだ」、「育ててやってるんだ」って言う傲慢な思い込み。
そうじゃないのに。
「生まれてきてくれたんだ」「育てさせてもらってるんだ」って
一緒に喜んで、楽しんで自分も大人になっていくのにね。

自分の愛情を一身に受け止めてくれる存在は子供だけ。
その子供を与えられた幸せに気が付かないのは、親子共に不幸だよね。
思う通りに行かない時、言う事を聞かない時、いたずらした時
カッとするのは、よく分かる。
思わず手を出したくなる気持ちも分からない訳じゃ無い。
私だって、声帯ポリープが出来るんじゃないかなぁって思うぐらい叫んでるもの。
でもさぁ、大人だって自分でも分かってる事出来ない時が多くて、
失敗や間違いや上手く出来ない事だらけなのにね。
人生も始まったばかりの子供達が、そうそうなんでも出来る筈が無い。
「しつけ」って言う言葉を振りかざして、子供を自分の思い通りにしようとする事自体
無理があるんだと思うなぁ。

親って、子供が無事に成長するのを見守ってあげることが一番の仕事なのかもね。
大きな怪我はさせないとか病気の時には助けてあげるとか。
もちろん、こうなって欲しいなって欲しいて言うのは、あって当たり前だけど
もし、その願いからはずれたとしても、子供は間違ってはいないんだと思う。
だって、子供は子供で自分の人生に責任を持って行かなくちゃいけないんだもの。
自分で選ばなかった道は、間違ったり失敗した時にどうしても誰かのせいにしたくなる。
自分で選ばせて、失敗した時にまたあたたかく迎えてあげれば良いのかもね。

だけど、万が一何かあったら、やっぱり親が受け止めなくちゃいけない。
「うちの子に限って」なんて言うのは、親が子供を見ていないからだと思う。
よしんば、見ていなかったとしてもそれが分かった時にちゃんと受け止める事。
特に若い時には誘惑や好奇心から暴走する子もいるけれど、
それでも可愛い我が子なんだもの。
そうなってしまうのは絶対に親にも責任はあるんだから。
怒ってあげるのはとてもエネルギーが必要な事なんだよね。
「そうね、ヨシヨシ」「ハイハイ」って可愛がるのは簡単な事だと思う。
でも、叱ってもらうありがたさは、失った時に必ず気が付くと思うんだ。
「放任主義」と言う名の「子育て放棄」が増えているんだよね。
子供が只ノビノビと育つ事と、社会の枠組みから逸脱してしまう事を取り違えてる。
社会の枠組みって言うのは、学校とか会社組織とかではなくて、
人として当たり前の感情や行動。
それが出来ない子供や大人が増えてきているのは悲しい事だよね。

私は極論かもしれないけれど、「少年法」で子供を罰っせられないのなら、
親が代わりに償えばよいと思ってるんだぁ。
だって、親にだって保護責任の義務があるんだから。
そのぐらいの意識と自覚を持って子育てしていけば良いと思う。
子供だって、自分の代わりに親がつかまるならちょっとは考えるんじゃないかなぁ。
もちろん、他の子供の世話はどうするとか問題は一杯あるのは分かってるんだけどね。
でも、自分が親になるってそう言うことなんじゃないのかなぁ。

2000.3.25

 

言わなくちゃ分からない・・・

 

私の母は本当に愛情深い人だったの。
でも、私にとってはそれが重くて苦しい時もあった。
彼女は私が高校1年で乳がんの手術をしたから、生きている内になんとか娘の
道を決めてあげようと必死だったんだと思う。
だから、「あなたはママの決めた通りにいけば幸せなのよ。」
そんな風によく言ってた。
大体が自分は駆け落ちまでして、父と一緒に仕事バリバリしていたくせに
娘には余計な苦労はさせたくないなんて。
そうそうハイハイなんて聞くわけも無くて。
とても仲良しだったけど、よく喧嘩もしていたよ。

高校生の頃は、親なんだから言わなくても子供の事は理解するべきだと思ってた。
うちの母はコンサルタントみたいなこともやっていて、
他人の事に関しては非の付け所が無いほど理路整然(これは私も(^^ゞ)。
端で聞いている私が感心するほど、とても正しい判断をする人だったのに、
いざ、子供のことになると、まぁ、勝手に押し付けるわけよ。
後になって、人生の残り時間が不安だったんだなぁって気づいてあげられたけどね。
でも、子供の時はなんでだろうって不満だらけ。
不良しようにも、ちょっと何かあると学校中に絶対電話しまくったり
出掛けて行って、身体張って子供を守っちゃうような人だったから、
万が一ばれたら、格好が悪いって思ってた。σ(^◇^;)
まぁ、もちろんそれでもそれなりに好き勝手はしていたけどね。
事後承諾と裏でばれないように遊ぶ習慣は身に付いていたなぁ。( ..)ヾ

19歳の頃から、ふと気が付いたのは、「親でも言わなくちゃ分かってもらえない」だったの。
何も言わないで「分かってよぉ〜〜」って言うのは、親子でも無理なんだって。
それから、毎晩のように沢山話し出したんだよね。
その内にふとしたことで母が怒ったことがあるの。
その時あれ?って分かったのよ。
「ママ、ひょっとして照れて怒ってなぁい?」
その時の母の顔ったら。(#^_^#)
「あらやだ、ばれちゃった?
あなたももう大人になっちゃったのねぇ。」
それからだったなぁ、本当に腹を割って母と話をし出したのは。
母は私にとっては、只の母親と言うよりは先生であり、神様みたいな人だったのね。
私が25歳の時に亡くなったその時まで本当に沢山話したんだよ。
母子で夜中から明け方まで話すなんてしょっちゅうだった。
時間的には本当に短い間だったけど、密度は濃かったなぁ。


いくつになっても、親ってありがたいもので、いつまで経っても子供は子供。
大人になってからも、上手に親に甘えてあげられない人って多いよね。
気づかないで甘えてるんじゃなくて、甘えてあげようと思って甘えてあげる。
これって、本当の親孝行なんじゃないのかなぁ。
だって、親は子供が可愛くって仕方無いんだから。

私にとって、しんどかったのは、母が余りにも愛情を一杯くれたから、
失った時にどうしようもなくなってしまったことかなぁ。
愛され過ぎても、立ち上がれない・・・丁度良いって難しいね。
もし、まだご両親が健在でちょっと最近話してないなぁなんて言う人がいたら
声を聞かせてあげてね。
失った時に気が付くなんて、もったいないんだから。
うるさく言ってくれる親がいてくれるのって、本当に素敵な事だよ。
1番寂しかったのは、誰にも叱ってもらえなくなったことだもの。

<2000.3.25>

夜遊びの為の外国・・・

母は、「お友達の所に泊まりに行くなら、うちに来てもらいなさい」
って、人だったのよぉ。(*_*)
私は、大学の卒論の時期まで外泊はした事が無かったの。
もちろん、シンデレラのように門限もず〜〜っとあったよぉ。
遊びに出ても、いつも時計とにらめっこでさぁ。
唯一時間を気にしないで夜遊び出来るのは日本にいない時。
それでかなぁ、外国に行きたくて仕方が無くなったのは。(^^ゞ

大学の1年と2年の時にアメリカとイギリスで1ヶ月ずつホームステイ。
と言っても、半分は旅行だったから、夜遊び満喫。♪ d(⌒o⌒)b♪
でも、毎日かかさずに電話だよ。
今日は何した?何食べた?ってさ。
「一緒に行くより、電話代の方が安上がり」(*_*)
今思えば、心配性の母は本当に心配だったろうなぁ。( ..)ヾ


「頼むから、ママの作った温室の中で、すくすく育って頂戴」
「じゃぁ、その中にいてあげるから、もっと建て増しして広げてよ」
「ママだって、田舎(栃木)から東京に出てきて、自分の世界や夢を探したんでしょ?
私にとっても同じこと。時代が違うから東京から外国へ。
自分の子供を信じなさい。
もし道を間違ったって、ちゃんと行って戻ってくるんだから。
でも、もし自分で決めた道じゃなければ、間違った時に後悔するよ。
ママの作る温室は私には狭すぎるから・・・」

調子の良い事並べ立てて、少しずつ親を説得。
最初は高校出た時に留学するつもりでいたけど、母が「側から離れないで。
大学出てからなら、行っても良いから。どこでも良いから日本の学校に行きなさい。」
そんな急に言われてもって感じで、浪人してどこでも良いって所に行ったわけ。
でもそこはアジアからの留学生が多い所で、それがきっかけで東南アジアに行くようになるんだけど。
大学を出た時に今度こそ留学しようと思ったら、またもやお願い。(^-^;
旅行でなら行っても良いから、ずっと離れて暮らすのはやめて。
身体の調子に自信が無かったから、少しでも長く一緒にいたかったんだろうね。
それからは好き勝手に旅行させてもらってた。(^^ゞ
最初の内は家族全員で見送り、出迎え。(^^;;;
段々にお互いが慣れて、少しずつ一人で行き来してたけどね。
今にして思えば、側にいてあげてよかったと思う。
大学出てから、アメリカのホテルの予約やってたんだけど、母の入院で8ヶ月で退社。
治療してまた落ち着いた頃、その関係でシンガポールのホテルで働かないかって言われたの。
初めて自分の関係で見つけた仕事だったから、母もとっても喜んで。
すっかり準備も済んであさって出発って所で、最後の入院になっちゃった。

もうちょっと心配させておけば、もうちょっと頑張ったかも。(^-^;
「あなたも自分の力で歩いていけるようになったのねぇ。」
なんて思わせちゃったからな。(^^ゞ
結局、外国に住む事は出来なかったけど、最後まで側にいて
看取って上げられたことはとっても救いだったよ。
日本にいるのが辛くて、49日が明けてすぐ4ヶ月ぐらい転々としてたけどね。
その後は、止める奴がいなくなったのと、日本にいると母がいないことに気づくから
1年の半分は出たり入ったりしているような生活だったかな。
今、思えばあの当時、東南アジアを一人でウロウロしてる娘はあまりいなかったのかも。
ほとんど友達を訪ねてだったけど、よく何事も無かったよねぇ。(^^;;;
夏菜が行きたいって行っても、母みたいにはしてあげられないから、
勝手にお金溜めて行かせようっと。
幸いお友達は各地に転々としてるから、面倒はみてくれるでしょ。( ..)ヾ

<2000.3.25>

 

慣らし保育

ついに保育園が始まった。
生まれてから、自分の目の届かない所にほとんどおいた事が無いから、
私の方が慣れるのに時間が掛かるのかもしれない。(^-^;
ゆっくりお願いしているから、私も一緒に1日目はおやつまで、2日目はお昼ご飯まで。
なんとなく気配を察知してか、珍しく人見知りして、しばらく側を離れなかった。
いよいよ今日から夏菜はおやつまでの1時間一人で慣らし保育。
「ママ〜〜」って泣き叫ぶ夏菜をおいて、喫茶店で待っていることに。

今まで託児所に何度か預けた時はちっとも平気だったのに、
なんだか今日は複雑な心境だった。(^^;;;
自分で見ていられない時間が出来る事が寂しいのか、
知らない所でこれから成長していくことなのか、
まだもう少し手元において置けば良かったとか、
昔の生活だったら、こんな風に預けなくてもなんとかなったなぁとか、
母もバリバリ仕事してたのに、私はどこにも預けられなかったなぁとか。
でも、お友達も出来るし、遊びも沢山覚えるし、
二人の為にはずっと楽しい事が増えて行くんだなぁとか。
あんなにちいちゃかった夏菜も一人で自分の社会を築いて行くんだなぁとか。
なんだか色々な想いが込み上げて来たなぁ。(#^_^#)

と言いながらも、決めた事は決めた事。
うだうだ思っても仕方が無いので、夏菜も私もすぐに慣れていくんだろうって、
久し振りにゆっくりお茶を飲みながら、本を読んだ。
あぁ、今頃は泣いているのかな。
おやつはちゃんと食べてるかな。
ちゃんとみんなで仲良くしてるかなぁ。
なんて、ふと頭をよぎってはいたけれど。(^-^)

1時間たって、お迎えに。
あれ、泣き声は無し。(#^_^#)
ちゃぁんと、先生たちとお友達と一緒に良い子で遊んでたよぉ。(*^^*)
お迎えに気が付いて、最高の笑顔で抱きついてきた。
うーん、私が思うより全然成長してるんだなぁ。(^^ゞ
保育園の先生達がちゃんと構ってくれたせいか、
前に託児所に迎えに行った時は、お迎えに気が付くと
「なんで、おいてったのよぉ」って身体で訴えて、泣き出してたのに。
迎えが来たら、帰れるって分かっているからか、私に抱っこした途端に
みんなにバイバイし始めたのよ。(^-^)

なんだか、急にお姉ちゃんになっちゃった気がするなぁ。
これからもっともっと変わっていくんだよね。
寂しいような嬉しいような娘の成長だよね。
頑張った頑張ったって一杯ナデナデギューしてあげた一日だった。
今日はやっぱり緊張してか、おやつは食べられなかったらしくて
明日もまたおやつの時間まで1時間。
母子共に、ちょっとずつちょっとずつ慣れていくんだよね。(*^^*)

<2000.4.5>

 

お葬式

昨日、大学の同級生の旦那さんのお葬式に行ってきたの。
彼女とは卒業して1度会ったきりだから、面識は無いんだけど、
多分私と同じ年の旦那さんだったと思う。
9歳を頭に3歳まで3人の子供を残していっちゃった。
詳しくは分からないけれど、なんだか調子が悪いって言い出して
休んだらそのまま亡くなっちゃったらしい。
突然死って言う奴なんだろうね。

まだ小さくて何がなんだか分からないでキョトンとしている下の子。
お父さんとのお別れの時のお姉ちゃんの泣き声が離れない。
病気で長患いしていたのなら、周りも本人もまだ心の準備も少しは出来るのかもしれない。
もちろん納得なんて絶対出来ないだろうけど。
でも、事故や突然死なんて・・・
沢山の想いを残していく若い人のお葬式は本当に辛い。

母の詩の中に

いつまでも見守ってやれない
親の悲しさは
みんなの心に受け継がれることでしょう。

と言う言葉がある。
そう、親はいつまでも子供を見ていられる訳じゃ無いんだよね。
一日でも長生きして、沢山の楽しい時間を一緒に過ごしてあげたい。
つくづく色々考えさせられた。考えてもどうしようもないのに。

母は私が高1の時に乳がんになったの。
それ以来、私を誰のお葬式にも出したがらなくなった。
それこそ、駄々っ子みたいに、出ちゃダメって。(^-^;
「あなたには人が死ぬのを見せたくないの」って。
今ごろになって、やっと母の不安や悲しみが分かってあげられる気がする。

『いつまで見守ってやれるのか』
こんなこと考え出したら、不安で一杯になっちゃうよね。
もちろん、人の寿命なんて誰にも分からないことだけれど、
高齢で産んでいる私にとって、「少しでも長く夏菜の側にいたい。」
それだけが望みかもしれない。
こうして、文章にして残しているのも、いつか夏菜が読み返す事が出来る為。
例え側にいなくなっても、心はちゃんと通じていくはずだから。

私にはもう両親もいないし、兄とも年が離れているから、
私に万が一があると夏菜は一人ぼっちになっちゃうかもしれない。
だから、せめて一人で歩けるようになるまで見守っていてあげたい。
無邪気に笑いかけてくる夏菜の笑顔を変わらずに受け止めてあげられるように。
それまでに、受け継いでくれる周りを固めておかなくちゃ。(笑)
みんなよろしくねぇ。(#^_^#)

<2000.4.27>

 

うずら・・・ありがとう。

命って本当に儚いものなんだよね。
今日、突然うずらが死んじゃった・・・
おとといの夜、突然何かがのどに引っ掛かったような咳をしだしたから、
慌てて病院に連れて行ったの。
よくおばぁさんってのどにつまらせたりするじゃない?
だから、変な物を引っ掛けたのかと思って・・・
でも、病院に着いた時には治まっていたから、大丈夫かなぁって思ったの。
只、つまらせたのかどうかも分からないし、やっぱり完璧じゃないから
連れて帰っても良いって言われたけれど、様子を見て検査してくれるように
お願いして預けて戻ったの。
次の日も何度か電話を入れて、すっかり落ち着いているけれど、
心電図とかも撮っておこうってなって、もう一日お願いする事に。
顔を見に行こうかと思ったんだけど、元気らしいし、かえって寂しがるからって
今日の午後迎えに行くことになってた。

だから、ちっとも心配してなかったんだぁ。
最近病院に行っていなかったから、色々検査してもらおうぐらい。
11時ごろ先生から電話。
お迎えに来いって言うのだとばっかり思ってた。

「容態が急変して危篤です。」

なんで?だって。元気だって。なんで?だって。だって。
聞いてもちっとも実感が湧かなかった。
まさかそんなことがあるわけないじゃん。。。。
とりあえず半信半疑で慌てて病院に。

酸素マスクを付けられて、心臓マッサージをしてた。
だって。だって。うそでしょ。
もう意識も無い。。。。

「今朝までは元気に吼えたりしていたんです。」
「急に呼吸困難になって・・・」

一生懸命マッサージを続けてくれたけど、機械を止めると心臓が動かない。
もうどうしようもない。。。。

今までちょこちょこ癲癇系の発作は起きていたけれど、まだそれほど頻繁じゃなかった。
確かに年も取ってきたから、これからどんどん衰えていくんだなぁって思ってた。
でも、まさかこんなに早いなんて。
だって、おとといの発作の直前まで食欲もあったし、すももと遊んでたのに。
いつもと同じように私の後を付いて歩いていたのに。
ぐったりした様子も無かったのに。
こんなに急に死んでしまうなんて・・・

母が死んで、寂しくて仕方が無くてうずらを飼う事にしたの。
ずっといつも私の側を付いて歩く子だった。
抱っこが嫌いなくせに、私の手の届く範囲に必ず寝そべっていた。
表情でまんがの吹き出しみたいに何を言っているのかが良く分かる子だった。
人間みたいな奴だったんだぁ。
小さい頃はどこに行くのも一緒だった。
一杯一杯私に元気をくれたんだよね。
うずらがいてくれたから、寂しさも乗り越えてこられたんだ。

すもものしつけは全部うずらがやってくれた。
すももにとっては絶対服従のお母さん。
母性本能のとっても強い子だったのに、太りすぎて子供が産めなかった。
いつでも私の一番だったのに、夏菜が生まれてからは順位が変わった。
それでも生まれたての頃から、一緒になって子守りをしてくれて。
何度夏菜がベッドから落ちそうになるのを教えてもらった事か。
夏菜が目を覚ますとすぐに教えに来てくれて。
最近はお菓子の取り合いしたり、夏菜のおもちゃになって毛を引っ張られたり
保育園のお昼寝ごっこの標的にされてタオルをかけられてトントンされたり。
姉妹喧嘩ってこんなものかなぁって思わせられてた。

病院で箱に入れてもらったうずらを連れて帰るタクシーの中。
箱をトントンしながら、「ワンワン、ネンネネー」
まだまだ小さい夏菜はうずらのことを覚えてはいられないかもしれない。
でもきっと心の中でうずらに一杯構ってもらった愛情は受け止めてくれてると思う。
家に戻って箱の中でお菓子とおもちゃをと沢山の花に埋もれて眠っているうずらに
何度も何度も「ネンネ」「ネンネ」を繰り返していた。
「そうだねぇ、うずちゃんはねんねしちゃったんだよねぇ。
これからずーっとねんねするんだよ。」
葬儀屋さんがお迎えに来て、バイバイだよって言ったら、
手を振ってバイバイって言ってた。

せめて、夏菜の記憶に残るぐらいまで頑張ってくれるんじゃないかなって思ってたのに。
まさかこんなに早く逝っちゃうなんて。
こうやって書いている今もなんだか信じられなくて。。。。

夕方、(ひょっとしたらその頃焼かれていたのかなぁ・・・)買い物の帰りに
目の前に大きな雲が夕焼けで少し赤く染まってたの。
どう見てもあたまも前足も後ろ足もしっぽもあって丁度走っている犬の形だったの。
あー、うずらだ。。。。
お別れ言ってくれたのかなぁ。

ひょっとしたら、私が気づいてあげなかっただけで、サインを送ってたのかもしれない。
ここの所夏菜にかまってて、ほったらかしだったし。
叱ってばっかりいたなぁ、なんて。
もっともっと写真も撮っておけば良かった、もっともっとなでてあげれば良かった・・・
色々考えちゃって。
明日夏菜は病院に行かなくちゃいけないけれど、
ひょっとしたらうずらが悪い事持っていってくれたのかなぁ。って。
昨夜連れて帰っていれば、ひょっとしたら大丈夫だったのかとか
せめて私のひざの上で逝けたのかなとか。
でも一人でパニックになっちゃってもっと後悔したかもしれない。
先生もとても良い人だったし、一生懸命やってくれたって思えたから。
これから先ヨボヨボになってもっと悲しい所を見せないようにって逝った気がして。
ある人に言われた、「うずららしい死に方だったね」
出来るだけ迷惑を掛けないように悲しませないように長引かせないで
自分で幕をひいたんじゃないって。

私の母もそうだったんだよね。
毎晩交代で泊り込んでいたのに、わざわざ私の番じゃない日に。
それもちっとも危なくないはずだったのに。
その日先生は「これから先看病するのが辛くなるかもしれません」って言ってた。
でも、まだそうなるはずじゃなかったのに。
私に見せたくなかったんだろうなぁって思うしかなかった。。。
父もそう。
誰も呼び集められもしなかった。
朝の検診までは元気で、そう丁度うずらみたいに突然眠るように。。。。
変だよね。そんなのさぁ。
側にいてあげたいって思うのにさぁ。

いのちってほんとうに儚い。
さっきまで確かに息づいていたはずなのに、突然消えちゃう。
つくづく思う今この時を大切にしておこう。
あーしておけば良かった、もっともっとって少しでも思わないで済むように。
あげられるだけの愛情は出来る時にあげておこう。
うずらが最後に私に教えてくれた事。。。

うずちゃん、本当にありがとう。。。
ゆっくりゆっくりお休み。
いつまでも私たちの事見守っていてね。

<2000.6.4>


お手紙ちょうだいね。(#^_^#) 未婚の母 BABY TALK