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パパいないねぇ。
親になるということ
どんなことでも
心が痛い時
強くなること
「頑張ろう」って
パパいないねぇ。
最近、ビデオを良く見るせいか、もしかしたら保育園でお友達に聞かれたりするのか、『パパ』って言葉を
よく言うようになってきたんだよね。
ま、私もビデオを見ながら「アリエルのパパ」とか「しまじろうのパパ」とか普通に言うようにしているんだけど。
だから、もちろん言葉としてはよく知っている筈。
それが最近もう少し分かって「ハイジ、パパいないねぇ。」「シータもパズー、パパいないねぇ。」
まだ、この後に「夏菜ちゃんもパパいないねぇ」ってのはついてこないんだけどさ。
昔話やアニメは不思議なぐらい片親か孤児、子供の出来ない夫婦、または継母継父が多い。
こんな古い話なのになぁってびっくりするぐらいだよね。
一緒に観ながら、「ハイジはパパもママもいないんだよ。」「アリエルはパパはいるけど、ママはいないね。」
「ダンボはママはいるけど、パパはいないね。」「シータとパズーは、パパもママもいないねぇ。」
「夏菜ちゃんはママがいて良かったねぇ。」って言ってるんだ。
みんな違って良いんだよって。
みんなそれぞれパパもいれば、ママもいれば、いない人もいる人も色々なんだよって。
ひょっとしたら今までも気にはなっていたのかもしれない。
言葉にならないだけでね。
でも、自然に当たり前のこととして、「夏菜にはママがいる」って思って欲しい。
誰かを羨むことなく、夏菜の家庭はそう言う家庭って自然に受け止められるように。
無いものねだりはしても仕方の無いことだし、それをハンディだなんて思ったら、一生それがついて回るものね。
だから、夏菜には刷り込み刷り込み、「ママがいるから幸せだよねぇ。」(*^^*)
って、こんなに叱られてばかりで、喜ぶのかしら。(^^ゞ
親になるということ
親ってどんな親が良い親なんだろうね。
理想の親って言うか、理想の子育てって言うか。
ま、大抵は親と似たり寄ったりか、かえって反面教師になっていくかだと思うんだけど。
「子供の自我の芽をつまないように、自由にさせてください。」
最近、この点にちょっと疑問があるんだよね。
もちろん、枠を決めてなんでもかんでもダメダメ、自分で何も決めさせないとかそう言うことじゃないんだけどさ。
でも、奔放に育てるのと好き勝手に育てるのは違うんだと思うんだ。
言葉って難しいから、言葉だけを取ると子供の自主性に任せてって言うのはとっても素敵。
でも、そう言いながら、放任が放棄になってしまったりもしているよね。
自由は社会のルールを守って、その上での自由で、只好き勝手に自分の思いどおりにすることじゃないよね。
で、難しいのが「子供の自我」。
今、夏菜は反抗期真っ只中。
大きくなるに連れて、叱ってばかりいる気がするんだよね。
叱ると言うよりも怒鳴り飛ばしていることもしばしば。
だからと言って、いじけたりしないのが頑固者の夏菜なんだけどさ。
そんな中、どこまでが躾けでどこまでが八つ当たりなのか(^^;;;
この線引きが非常に難しいと思う今日この頃。
でも、どんな親でも親は親。
ちょっとやそっと叱ったぐらいで嫌われない自信があるから、叱ることも出来るんだろう。
お互いをぶつけあって、それでも根底に愛情があるから認め合うことも甘えあうことも出来る。
そんな母娘でいられる限り、大丈夫なんだろうけどね。
子育てにも人生にも何が正しくて間違っているかなんて答えは無いんだから
成長に合わせてその時々で、一番良いと思うことを選んでいくしかないんだろうな。
毎日が元気で楽しく過ごせれば、それが積み重なってよい人生だったって思えるのだろうから。
前向きに生きること。。。
普段無理して気にすることもなければ、背伸びしている訳でもないんだけど、
基本的に過ぎたことには執着しないし、現実も事実もありのまま受け止めて、その中で
一番良いと思うことをすれば良いやって思ってきている。
多分それが前向きであることの一つでもあるんだと思うんだよね。
どんなことでも無理しちゃうと辛くなるし、張り詰めた糸は切れやすいから、出来るだけ
柔軟でしなやかな考え方や対応を出来るように、こうじゃなくちゃダメ!って思わないようにしてるのね。
最近の目標は『のびやかに』『しなやかに』『したたかに』。
私は元々誰かと自分を比較することは余りしない方だと思う。
だって、人はそれぞれ。
性格も暮らし方も価値観も生まれ育った環境も経済的状況も仕事も全部違って当たり前だから。
この『当たり前』が結構難しい言葉で。。。
普通とか標準的とか、似たようなことは一杯あるけど。
人と違うことが不安材料になったりもするんだよね。
ひとり親であること。。。それは紛れもない現実な訳だ。
夏菜は初めからママしかいないで生まれてきた。。。私生児ってことだけど。
普通と言う言葉と比較すれば、まぁ、一般的ではないだろうね。
だけど、だからなんなんだろう。。。乱暴に聞こえるかもしれないけど。
私は夏菜のことを可哀想とは思わないんだよね。。。
誰かと比べたらキリがないから。。。
この先私はいつまで見守っていてあげられるか分からない。
もちろん出来る限り長く守っていってあげたいとは思うけれど、誰にも先のことは分からないよね。
これはどんなことも同じだと思うんだよね。
誰にでもどんなことでも起こりうる訳だし、誰もどんなことも予定通りなんていかないんだもの。
これは両親が揃っていたって、同じことなんだと思うんだよね。
離婚も死別もその他どんなことも誰にでも起こる可能性はゼロじゃないんだから。
夏菜には予想外のどんなことが起こっても、誰かと比べて自分だけ不幸だって
考えるような子にはなって欲しくないんだよね。
親の数を見れば最初から一つ足りないのかもしれないけれど、そんなこと比べても仕方のないこと。
ジジババの数だって兄弟の数だって、どうにもならないことを気にしても仕方のないこと。
どうにもならないことを恨んだり羨んだりしないで、与えられた運命の中で、
素敵なことを自分で見つけられる目を養っていって欲しい。
人生は考え方一つ。
同じ形に見える物だって、見る方向が違えば違った形も見えてくるのだから。
もちろんそんなこと言っても、悩みも不安も後悔も反省も誰にだってどんなことにだってあるよね。
でも、どうせなら立ち止まってうつむくよりも、そういう事を全部受け止めて
歩いて行った方がずっと楽しいって思うんだよね。
誰のせいでも誰の為でも無い、自分の人生をどう有意義に過ごして行くか。
それが生きていく豊かさになるんだと思うから。
私にしてあげられることは、一緒にいられる間に充分な愛情を与えて包んであげること。
もし一人になっても何が起こっても、ちゃんと自分の心を見つめられる考え方を伝えてあげること。
強くなる必要も、無理をする必要も無いんだよね。
流れに身を任せて行く勇気をきちんと持っていて欲しいだけ。
せっかく生まれてきて、同じように人生を過ごすなら、楽しまなくちゃもったいないじゃん。
考え方次第でどんなことだってチャンスにもラッキーにもなるんだもん。
本当はね、みんなが悩みが無く、傷つくことも無く、日々毎日満たされて楽しければ素敵なんだよ。
でもね、残念ながら人生ってそんなことはやっぱりありえないんだよね。
それは子育てばかりじゃなくて、仕事のことでも家庭のことでも、友人関係、人間関係どんなことでも
大なり小なり思い通りに行かないことばかり、毎日あるんだよね。
心に傷や痛みを持っていない人なんて、いないと思うんだ。。。
もしいない人は、やっぱり何かが欠けているのかよっぽど鈍感なのか。。。乱暴な言い方だけどね。
・・・ただ、その傷を気付かないように上手にくるんで隠せる人はいると思うんだよね。
生きて行くことは悲しいことも辛いことも泣きたいことも沢山あるよね。
でも、それで当たり前だし、それから逃げちゃうことはやっぱり出来ないんだと思うんだよね。
自分のことを可哀想だって思うのも良い、手探りでジタバタしながら、立ち上がる力を蓄えるのも良い。
誰かを責めること恨むことで、自分の心を保つもの、それでも良いんだと思うの。
だけど、例えどんな方法だとしても、自分の心はやっぱり自分で癒すしかないんだと思うんだ。
どれだけ傷ついたとしても、それでもやっぱり自分が自分の心と話すしか方法は無いんだもの。
それでね、いつか。。。それは人によって時間も形もなにもかも違うと思うんだけれど。
過ぎた過去になって、いつのまにか傷が癒されて。。。もしくは見えない振りが出来るようになって
またニコニコ笑える時が来るために、頑張れば、きっと素敵なことが一杯あるって思うんだ。
そんな綺麗事言ったって、傷ついた心、壊されちゃった心は簡単に治らないって言うかもしれないけど。
でも、だったら、いつまで経っても誰かを恨んで誰かを憎んで誰かを責めていかなくちゃいけなくなっちゃう。
自分を責めることも同じこと。
過ぎたことはもうどうにもならないんだから。
同じ過ちを繰り返さないことは素敵なことだと思うんだ。これは学習だから。。。難しいけどね。
自分のせいじゃなくて、降りかかってきた不幸に巻き込まれたとして。。。これは辛いよね。自分のせいじゃないから。
だけど、どんな時にも明日は必ずやってくるもの。
その明日は自分で切り開いていける明日なんだよね。
過ぎた過去を嘆くより、明日を大切に輝いて自分の力で掴み取れば良いんだよ。
悩むことも迷うことも悲しむことも良いことなんだよ。
泣きたい時には泣いて、考えて、落ち込んで。。。いくらでも納得いくまでするしかない。
でも、それが過ぎたら、次の笑顔が待っているように切り替えられたら素敵だよね。
口で言うのは簡単なこと。。。実はとっても難しいと思うんだ。
「なんで自分だけ、なんでこんなことが起こるの?」
「なんで自分だけ幸せになれないの?」
でもね、自分だけなんかじゃないんだよね。
端から見ればどんなに幸せそうに見える人でも、辛いこと悲しいことがない訳じゃない。
反対にどんなに不幸せそうに見える人でも、嬉しいことや楽しいことはあるんだよ。
心が痛い時は、その痛みと向き合うしかないんだよね。
私はどちらかと言えば、見ない振りをして逃げちゃうタイプだけどね〜。
傷つきたくないから、表面的にしか人とは関わらない、心は見せない。。。多分そうやってきた。
でも、どんなことしても傷つく時は傷つくし、いつのまにか忘れていけることもあるから。
今は辛くても、きっと必ず良いことがあるって信じていこうよ。
だって、自分の人生は自分で楽しもうとしなくちゃ、つまらなくなっちゃうんだもん。
私は見かけのせいもあって、子供の頃から強く見られることが多かったんだ。
小さくて華奢な子ってそれだけで、儚そうで守ってあげたいって見えるじゃない?
それが羨ましくて仕方ないこともあったんだよね。。。子供の頃からでかくて丈夫そうだったから。
母の反面教師の部分で、「自分の機嫌が悪い時に他人を巻き込むのは嫌」って言う気持ちが強かったの。
うちの母は他人にはいつも理路整然と冷静な判断なのに、私に対しては全部出ちゃう人だったから。
(・・・今思うと、母娘ってお互い絆が深いから、唯一心をぶつけられる相手だったっていうことだけどね。
私も良く似ているってことを実感して。。。ちょっと反省中。)
だから、嫌なことがあっても外には見せないように子供の頃から訓練したんだよね。
他人の前でそれが友達だとしても泣くなんて絶対に嫌だった。。。
みんなの私を強い子だって思う気持ちを裏切りたくなかったんだろうなぁ。。。無理してたんだよね。
言わなくても本当に分かってくれる子は、分かってくれる筈って思ってたから。
考えてみれば、心を余り開いていなかったんだと思う。
それは自分が本当はとても弱いのに、無理していることを知っていたから。
弱い部分に傷がついたら、立ち直れないって思っていたから。
だから、弱い心の周りに沢山の堅いバリケードを作って、自分で自分の心を守っちゃったんだよね。
そんなことしたって、傷つく時には傷つくんだけど、若い頃はそうするしかなかったんだよね。
爪先立ちでグラグラしながらも、背伸びして頑張りたい年頃だからね。
30近くなってから、出逢った7つぐらい上の女の人がいて。
この人がまた私と全く正反対。機嫌が悪ければ周りにぶつけまくる。
泣くわ喚くわ大騒ぎして、気が済むと何事も無かったようにニコニコ。
でもさ、友達ってそれでも受け止めていけるんだよね。
あぁ、また始まったってさ。(笑)
彼女を見ていて、こう言うのも(出来る出来ないは別にして)全然オッケーなんだなって思った。
ようするにどんなマイナスがあってもそれを補うプラスがあれば、ちゃんと受け止めてくれる人はいるんだよね。
年を取って行くって、わがままになることなのかなぁって思うようになった。
好きな人と一緒の時間を過ごしながら、自分の心に素直になること。
普通は反対に幅が広がって行くって言うけど、私はかえって反対だった気がする。
若い時の方がずっと人間が出来てた。(゚m゚*)プッ
今は感情が顔に出ちゃうし、嫌いな人を嫌いって言えるようになったから。。。
40越えて、本当に楽になったんだよね。
年相応に無理もしなければ、背伸びもしない。
自分の思うように、自分の心と話しながら、好きな道を歩けば良いんだって。
それでもね、今でも迷ったり悩んだり、失敗したり、間違ったり沢山あるよ。
人っていくつになっても、そんなに変わらないものなんじゃないかなぁ。
でも、人生が終わる時、自分に素直に生きてきた人はやっぱり「あぁ良い人生だった」って
思える気がするんだよね。
小さな喜びや幸せを毎日少しずつ溜めて、健康と幸せを感謝して、満足してさ。
正しいか間違っているかが問題じゃなくて、心に素直だったかどうか。
それで充分じゃないのかな。
話がずれちゃったけど、若い頃の堅いバリケードがね、あんまり役に立ってないことに気付いてきたの。
自分が弱いことに気付いて守ろうとしたことまでは良かったんだと思うんだよね。
最近は、だから堅いバリケードをスライムみたいな柔らかくて柔軟性のあるものに変えたいと思ってる。
いくら傷がつこうが、攻撃されようがムニュムニュ柔らかく受け止めてどんな形にへこんでも再生出来る。
そんなバリケードの方が、断然強いんだと思うんだよね。
張り詰めた糸が切れやすいように、堅いバリケードを作って閉じこもってしまうよりも、どんなことも
柔軟にこだわらず受け止めていける方がもっともっと強くなれると思うから。
でもね、無理して強くなる必要は無いんだと思うんだ。
あるがままに今の自分を素直に認めることから、始まって行くんだと思うよ。
弱ければ弱いなりに、悲しければ悲しいなりに、そのまま受け止められたら、次に進めるから。
みんなが少しずつでも元気を溜めて、ニコニコしていけたら良いよね。
こないだねMLで見かけたんだけど、私立の幼稚園で「頑張ろう!」を禁句にしている所があるんだって。
無理して頑張ろうと思い過ぎると、プレッシャーになるってことでだと思うんだけどさ。
でも、人間「頑張ること」をやめてしまったら、つまらない人生だと思うんだけどなぁ。。。
それも言葉まで押さえ込んでまで、頑張らせない教育って。。。それも幼稚園から。
甘やかしすぎなんだと思うんだよね。。。最近の子供たちは変な意味で腫れ物状態。
競争もなければ、頑張る努力も薦められない。(もちろんそういう意味で禁句にしている訳じゃないと思うんだけど)
人生思い通りに行かないことがあって当たり前だし、出来ないことを一生懸命練習したり、負けた悔しさをバネに精進してさ、
それが出来るようになった時の、次は勝てたって思えた時の達成感って、すごく素敵なものだと思うんだよね。
なんでみんな子供の心を強くしてあげようと思わないんだろう。。。
いつまでも親や先生が守ってあげられる訳じゃないのに。
いつか子供も外の社会でひとりで生きていかなくちゃいけない。
それが小さい時から、傷つかないように、無理しないようになんて教え込まれたら、ちょっと思い通りにいなかいことがあったら、つぶれちゃう。
親や先生なんてお友達じゃないんだから、叱ってあげること、転んだ時に立ち上がる勇気をあげることの方が、ずっと大人になって役に立つ。
たかがかけっこで負けたぐらいで人生終わっちゃうみたいに思う子いないよね。。。
もしそう思っちゃうなら、そうじゃないことを教えてあげたら良い。
負けることが経験となって、身についていくんだから。
負けるのが嫌だと思えば、恥ずかしいと思えば、頑張れば良いんじゃん?
その為にみんな努力していくんだから。
守ってあげること、支えてあげることを履き違えている大人が増えちゃったんじゃないのかなぁ。
子供の頃から、ちょっとずつちょっとずつ心を強くしてさ、自分の心を守る術を覚えないと、大人になってからもちょっとしたことで
どうして良いか分からなくなっちゃったり、逃げ出したくなっちゃったりするよね。
世の中自分の為だけには回らないものなんだもの。
思い通りに行かない時に、自分の思い通りにいかせるように頑張る練習って必要だと思うなぁ。
じゃないと、ただ誰かのせいにして、恨んだり妬んだり嘆いたりするだけで、その場で立ち止まっちゃうよね。
「頑張る」って、とっても素敵なことだと思う。
若い内はうんと無理してつま先立ちで背伸びして、グラグラしながらも上へ上へ手を伸ばせば良いし、年を取ってからだって
人生を楽しむ為にいくつになっても頑張れば良いんだよね。
その為に我慢すること苦労することって、凄く充実してるから。
例えそれが思い通りの結果にならなかったとしても、頑張ることって、頑張ったかいがあるって、次へのステップの励みにもなるし、
なにより自分が一番気持ち良いと思うんだけどなぁ。。。
みんな「頑張り過ぎないように」。。。でも一生懸命楽しみながら、「頑張ろうよ」
2003.6.23
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もしも一人で行き詰まっちゃう時があったら、 掲示板で話しちゃう? ちょっとは気が晴れると良いね。(*^^*) |