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再びの入院
 


ベッドからみる夏の空はたそがれて
神宮球場の電光掲示板やプールの灯が赤い。
絵画館の丸いド−ムは七年前の手術の朝
雪が舞っていた風景と同じに静かだ。
左手に新しいホテルがそびえ立ってはいるが、
病院の横道のプラタナスの葉が
風にゆれている。
窓をあけると車の騒音にかきけされてか
白昼のふるようなセミの声は聞こえない。
「茅ケ崎の庭には夾竹桃が真盛りだよ」と
息子が夫の手作りの新さつまいもを
届けてくれてた。
手術がないので、今度の入院はとても楽だ。
身も心も静養してゆこう。
こんな時間をあたえられたことを
心からありがたいと思う。

(1983.8.7)

 

 

夢ゆりの花

 


クリームのカーネーションと
紫の花が活けてあるから
「赤い花がほしい」といったら、
娘がかすみ草と赤い花束を
抱えて来た。
「かわいいでしょう。夢ゆりの花ですって」
まぁ何てすてきな名前でしょう。


入院して二週間。
心づくしの花がアチコチから届けられるけれど
冷房の部屋は、せいぜいもって三、四日。
その間に娘は、赤とピンクのカーネーション
真赤なバラなど抱えてくる。
「ママの好きな色ばかりね」と言えば
「よっくごぞんじですから」と笑いながら
部屋中お花いっぱい。


「鉢ものは根づくからいやだという人が
いるけれど、根をはって、生きているって
感じがいいって言う人もいるのよ。
ママ考え方よ」といって、
紫とえんじのセントポーリアの
鉢をかざってくれた。
生花が枯れてもまだ可憐な花を
咲かせている。
どんなに私の心を
なぐさめてくれることか。――

(1983.8.7)

 

 

祈り


たった一人で検査の連続
ぶつかってしまった事態は
のりこえるより仕方ない
七年ぶりの入院を前にして
むしろ明るく
平静にうけとめていたつもりだった。


断層写真もアイソトープも
CTスキャン室の廊下の長椅子に
朝一番に待たされて
初めての経験におののく心をだいて
じっと耐えていた。


一番つらいといわれていた
気管支鏡の検査も
やっとの思いですませた。
入院を待つ間に外来へ通いながら
みんなガマン出来たと思った。


検査がおわって新宿の家へ帰ったとき
「小田ミツ様病気平癒祈願」というお札が
机の上においてあった。
「今日は古いお札をみんなかえして
おはらいをしてもらってくるよ」
朝そう言っていた次男夫婦が、孫たちが
氏神様の熊の神社で
いただいて来たらしい。


運命に一人で立ち向かってゆこうと
思っていたのに
子の優しさ、祈りにふれて
どっと涙があふれた。

(1983.8.12)

 

 

三人娘

 


昨年の秋我が家の嫁になったばかりなのに
家族のみんなとすっかり仲良しになり、
私の入院にもこまかい心遣いをしてくれる。
初めての治療で思いがけなく
トイレでたおれかかったときは
私の声に飛んできて、ボタンを押し、
先生をよび、看護婦さんと二人で
ベッドまで運んでくれた。


この前の入院の時は
次男のお嫁さんが一生懸命通ってくれた。
あの時十六歳だった娘ももう一人前。
三人の娘にかこまれて私は幸わせ。

(1983.8.7)

 

 

肺ガン発見と入院

 


昨年の今ごろは、ジュースを飲むのもやっと、
カボチャの一切れもやっと、
おすしが欲しいというので
用意するとたった一個。
全くどうなってしまったのかという
拒食がつづき、この夏はもつだろうか。
結婚式に出られるかしらとギリギリまで
心配させ、とうとう式には出られず、
翌日から入院。
輸血・点滴と続いて、
私も「四・五日一緒に入院しなさい。」
と野村院長に言われたけれど、
自分の病室からパパの部屋まで、
輸血のおちぎあい、点滴の様子を見に
行ったり来たりしているうちに
腰を痛めてしまい、
市ヶ谷の整形外科へ通っては
電気でのばしあたためた。
やっと十二月一杯で回復。
今年の一月はじめて九日の新年会に顔を出し、
とにかく新商法下に生き残る方策を探り続け、
毎夜息子と話しこみ、時に叱られ、
時に責められ、
もう私自身がメタメタになっていた。
投げ出してしまえばいいものを
投げ出せず、みんな自分で背負いこんでしまい
娘のタイ行きの二ヶ月間は気をもみながらも
娘のしあわせを祈り、
出来る時にはさせてやりたいと願った。
元気で三月に帰ってきたら、五月には
生まれて初めて扁桃腺の熱を出し、
夜中の二時に野村病院に入院。
二週間余りの看病。
一週間は四十度近い高熱の上がり下がりで、
ほとんど寝ないで付き添い。
ようやく熱がさがってホッとしたら、
今度は私が風邪でクシュン。
こうしては大変と慌てて家に帰り、
三男にかわってもらったけれど、
翌日心配で出かけたらまたまたの熱。
私は前の部屋に入院の形をとって、
ほとんど寝ないで光仁と
明美ちゃんと三人で看病。
もう夢中だった。
その間に入院したのでレントゲンを撮られたり
血液を採られたりしたけれど、
自分のことなど忘れて、結果も聞かずに退院。
六月に入って、左の耳鳴りがひどく、
堤さんへ行ったら、血圧が上が百四十の
下が九十で上がり気味と言われ、
野村病院へすぐ行ったら、林先生が、
「この前の写真に胸にカゲがありますよ。」
と、すぐまた撮って、やっぱりあるから、
断層写真もということになった。
次の週にジューキの工場見学の翌日に
行ったら、やっぱり、
「慎重にした方がいい。」と言われ、
さあ、大変とレントゲンを束にして預かる。
阿部先生にTELしたら、
「月曜日にどうぞ。」と言われ、
茅ケ崎でフトンをかぶって寝ていたけれど、
ぶつかった事態には立ち向かわねばと慶応へ。
阿部先生が早速胸部の深井先生に検査の指示。
外来にいる間に、かるく二本注射、
アイソトープ、CT、断層写真と気管支鏡と
みなすんで入院。
申し込んで二週間め。
こうして今や看護婦さんも家族も
みんな心をあわせて私の為に心配してくれる。
めぐまれた私だと思う。
ありがたいことだと思う。
こうしている間に、心をとりもどして、
これからの方針もたってくるだろう。
何にも余計に望むものはない。
みんなが平和で幸せであってくれればいい。
私はしあわせだし、うち中で、何かといえば
力をあわせて乗り越えて行く。
ありがたいことだと思う。
お店の改装もすすんでいるというし、
茅ケ崎は私が帰ってくる日のために、
花を植えたり、雑草をとったり、
パパが一生懸命だと息子が言っていた。

(1983.8.7)

 

 

入院生活

 


二回の強い注射療法は
とてもつらいものだと聞いて来たが、
どうやらのりこえた。
万全の予防と処置で、吐き気も少なく
回診の先生に
「このくらい、つわりに比べたら軽いもの」と
冗談が出る。


それでも患者の知らないところで
どれほど木をくばっていてくださるか
毎日の採血にも感じられる。
わずかな訴えにも注意深く
耳をかたむけ
適切にこたえてくださる。
先生も看護婦さんも明るく
心から親切でありがたい。


青い空が窓いっぱいひろがり
神宮の森をみおろしながら、
朝は翼を光らせて東へとび
夕べは沈む方へ帰ってゆく
小鳥たちをみて
身も心も自分をとりもどしたような
嬉しさだ。

(1983.8.12)

 

 

この世の花

 


「小田さんは紫の花が好きだから」と
みごとな蘭の花束を届けて下さった方
嵐の降ったりやんだりの日
「元気になってまたはやく逢いましょうね」
お友達からみんなの添え書きで
胸がキュンとなるような情熱的な
花束が届けられた。
目をみはるよな豪華な花かごや
素朴なりんどうやゆめ百合の花。


ピンクと赤のバラの香り
部屋いっぱいに花がほほえむ。
絶え間なく届けられる
花の美しさにみとれながら、
暑い真盛りに訪ねて下さる方々の
思いやりに涙がこぼれる。
この世の花はみんなの心の中に咲いて
私の生命の灯を燃やして
くださるのだと
感謝と嬉しさでいっぱいです。

(1983.8.15)

 

 

PTA

 


「今日は先生、PTAが逆になりまして
娘がついてきてくれました。」
胸部外科の外来で
第一回めの検査の結果を聞くとき
「私がついてゆく。」と娘は言った。
「三人のお兄さんたちがいるのに
可哀想だな」と思いもしたが、
娘の気持ちがヒシと感じられたので
素直に送ってもらった。


「そうですか」とニコヤカに丁寧に
心をこめて説明してくださる。
「先生、手術だけはカンベンして
ほしいんですよ」と言ったら
「胸部の方では考えていません。
注射かお薬だと思いますよ。
阿部先生と相談して決めましょう。」
とのことだった。


「よかったじゃない、ママ
手術しないで済むんなら」と
娘は心から喜んでくれた。
大学四年の夏休みを
ほとんど毎日泊まってくれる。
美しい花をいっぱい飾り
明るくふるまいながら
たのむことは何でもやってくれる。
幸せな入院生活。――

(1983.8.12)

 

 

誘導

 


「まず嬉しい事から教えて上げるね」と
病室に入ってこられた阿部先生。
「この前の注射のあとで撮ったレントゲンに
二ヶ所のうち一つはずいぶん小さくなった、
もう一つも大分小さくなったから」


「あらそうですか、嬉しいこと。
でもセンセ、昨日もうちのお店の
新装開店を見にゆこうと思ったら、
白血球が二千九百しかないから
ストップがかかっちゃったんですよ。
だから身体の回復を待って次の治療は
急がないで下さいね」と言ったら
「それは考えてますよ。
ちょうど今度ウィーンの国際学会で
この治療法を発表するところなの」
と言ってらした。


とにかくすごい薬だけれど、それだけに恐い。
「先生、ゆっくりおねがいしますね」
「ただ敵さんをやっつけるのに、この時という
サジ加減が難しいのよね」
「もう先生におまかせしますから」と言ったら
「これ三クールやればベターなのよね」と
おどけた調子でおっしゃった。


「ホラおいでなすった」私の顔色をみながら
ちゃんと先の見通しを立てながら
いつも小出しになさる。――
私は騙されたフリをしながらお任せしている。
「だったら先生、一ヶ月にワンクールとして
十月までかかりますね。いいですよ。
とにかくおまかせしますから」


「ハイハイ」といつもの調子で
帰ってゆかれた。
実に上手に誘導されてしまう。
見事な名医。――
もうこうなったら、そのつもりで
与えられた時間を大切にすごそう。

(1983.8.24)

 

 

幼な子

 


断層写真を撮っていたら
お隣から、赤ちゃんの泣き声、
必死にママにすがりついているのが分かる。
暗いところで、ものものしい機械の中で
どんなに恐いことだろう。
大人でさえ心がちぢむのに。――


「はい、おわりました。ごくろうさま」と
言われて身支度をしていたら
入れ代わりに三、四歳の子が
ぐったりと車椅子にのせられ
小さな足に点滴をさしたまま
ママと看護婦さんが付き添っていた。


こんな幼いうちから
なんでこんな苦しみを
背負ってしまったのだろうか。


親の辛さ、せつなさはどんなだろうか。
私はただ目がしらを熱くして
祈ってあげるしかない。――

(1983.8.25)

 

 

願い

 


靴下をはいても足があたたまらなくて
ブルーな気分で横になっていたら
「今、手術が終わってきたばかり
白血球も大丈夫だし、もう少し頑張れば
食べられるようになるから
がんばって、がんばってね。」
そう声をかけながら阿部先生がみえた。
「おつかれなのにすいません」
「がんばって、がんばってね」
と言いながら帰られた。


これが人の世の御縁というのでしょうか。
七年前の出逢いがあって
あの時も生命を助けていただいた。
今また安心しておまかせできる。
「先生、私より長生きして下さいね」
これが患者の切なる願いです。

(1983.8.18)

 

 

つくす

 


「手をつくす。心をつくす。
身をつくす。」
いい言葉だと思う。
ふりかえってみて
私はつくす道を歩いてきたと思う。
時には悲鳴をあげながらも
家族につくし、事業につくし
社会につくし、一生懸命だった。


それが習い性となってどうしても
我が身を忘れて
まわりにつくしてしまう。
それが私の道ならば
ひとすじにつらぬけばいいと思う。
生きている限り私はかわらないのだから。――


そしてこうして病んでみると
みんなで私につくしてくださる
ありがたくって涙がこぼれる。

(1983.8.25)

 

 

ブルーとピンク

 


台風一過の空は晴れ上がり
もう秋の色。
軽やかな雲もなごやかに流れ
街路樹に吹く風もおだやかに
葉ずれの音が聞こえそうな風情だ。


「副作用がほとんどないから
もうワンクールやった方が」と
受け持ちの先生に言われた時は
月末に退院とばかり思っていただけに
ショックだった。
けれども「この暑いさなかに退院するより
充分に治療をうけて帰った方がいいよ。
先生がそう判断して下さるなんて
幸せじゃないの」と子供たちに言われる。


今朝は私の心もさわやか
検温に来た看護婦さんに
「昨日はブルーだったけど、今日は
ピンクよ」と心から笑える。
二クールの注射まで
モリモリ食べて体力つけましょう。

(1983.8.20)

 

 

精神生活

 


ベッドの中にいても、
部屋から一歩も出なくても、
ちっとも苦にならない。
来し方、行く末いろんなことを考え
同じ病院でも精神的には健康だと思う。


落ち込む事があっても
先生や看護婦さんやお友達や家族が
しっかり支えて下さる。
忙しくスケジュールをこなすことに
かけまわって
昨年から今年のあり方は普通ではなかった。


主人の病気・息子の結婚・娘の病気。
変化期にぶつかった事業のあり方。
いろんなことが押し寄せて
肩の荷が重過ぎた。
けれどもみんなで支えあって
乗り越えてきた。


一番心配させた夫は
茅ケ崎の庭いじりで陽にやけ
今年はおじゃが・さつまいも・とうもろこし
までつくってくれた。
顔色もつやつやと生きかえってしまった。


そして今度は私の番だ。
七年前にも心配させたけれど、
今度ばかりは覚悟を決めなければと思った。
けれども至れり尽くせりの治療で
どうやら灯りがともり始めた。
発見するまでは全く音もなく忍び寄り
何の症状も出ないだけに恐い。


ピンピンして避暑はどこへゆこうかなどと
娘と話していたのに。
けれども三十八年も働きづめで
ここにこうしていると
むしろ孤独な時間がうれしい。
こんなに自分の心をとりもどしたのは
何年ぶりだろうか。――
人生の第三期にのったと思う。

(1983.8.24)

 

 

脱毛

 


最初はパラパラ
次の日はバラバラ
もう今は触れば取れてしまう。
あんまり散らばるのが恐くて
ナイトキャップやヘアバンドを
娘にたのんだら
カラフルな色を取り揃えて
沢山買ってきてくれた。


「強い薬で髪の毛がぬけますよ。
今はいいかつらがあるから」
と入院前から言われてはいたものの
いざ現実になってみると
そらおそろしく、気味が悪い。
寝つけないままに考えていて、
「生命を守る為に犠牲にしたと
思えばいいじゃないか。
薬をやめれば前よりいい毛が
生えるというから。」
娘は「ママ、今度は白髪がなくなるかもよ。」
とおどけてみせる。
一つ一つをしっかりと受け止めて
前向きにゆこう。
「まけてたまるか。」と思うことにした。

(1983.8.25)

 

 

時間

 


冷房が薄くなった髪に吹きつけて
風邪をひいてしまった。
七度五分の熱もすぐひいて
二日ほどは汗まみれ
いっそさっぱりお風呂に入ろうと
朝風呂に入った。
ざっと洗ってさっぱりした。
「これで風邪も抜け、白血球も落ち着いたと
思いますよ。明日採血しましょう。」
と菊地先生がおっしゃった。
「やっと第二クールの治療に
かかれるのか。」
だらだらと時間がすぎているようで、
一日一日体調も整っているのだろう。
ここ一週間で一キロ体重も増えて
ほぼ入院時と同じ、顔色も唇の色もいい。
大切にしてベスト・コンディションで
受けたいと思う。
脱毛もほとんどとまった。
無理しないで一日一日を大切にすごそう。
どうあがいても十月まではかかるのだし、
余計な事は考えずに
なるがままにまかせよう。

(1983.9.4)

 

 

 

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