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この「幾歳月U」は1970年2月から1978年9月に書いたものを、
母が纏めて出したものです。
丁度私が9歳から18歳の頃までが書いてあります。
HPを作り始めたおかげで、こうしてまた私自身も読み返す機会を
得て、本当に良かったと思っています。
ずっと読まないままにしておいた母の愛情を今頃になって、しみじみ
有難く感じる事が出来ました。
親の愛情って分かっているつもりでも、忘れてしまうものですね。
子供の頃は何を言っても、詩の材料にされてしまうのが、
気恥ずかしかった覚えがあるのですが、自分でも忘れてしまって
いることを沢山思い出させて貰いました。
今自分自身が母となり、母の愛情をやっと受け止められた気がします。
私が16歳の時に、母は初めて乳がんの手術をしました。
まだまだ子供だった私は、母の不安を分かってあげられなくて、
沢山反抗もしたけれど、そのあともずっと愛情を、注ぎ続けて
いてくれたのですよね。
最後まで側にいてあげられて、良かったと思います。

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生きがい


一日外へ出ると翌日は寝こむ。
前の日社会の風にあったことが、
こわれやすい健康に
どっとこたえる。


この春、風邪をこじらせて
長い疲れが出たせいか、
どこが悪いというでもないのに
立ち直りきれない。


けれども、事業経営には
はずしてならないタイミングがある。
社会の歯車に焦点を合わせて
まわってゆかねばならない。


誰にも代われない
責任を背負って二十一年、
よくも続いてきたし
続かせてもらった。


意志の力が
たいていのことを乗り越えさせ
やめようなどとは、
これっぽちも思わない。
しんそこ仕事が好きなのだ。


四人の子供を育てることも
生きがいならば、
仕事も生きがい。
欲張りなようだけれど
わたしは両方大事にしたい。

(1970.6.21)

 

 

存在


おんぶにだっこはいけません。
自分の足でお立ちなさい。


たとえこの宇宙にとって
ケシツブほどのものであっても
あなたはあなただけの存在。


だれにもかわることの出来ない
自身の人生を
精一杯生ききってください。

(1970.2.18)

 

 

こころとこころ

まぶたを閉じると
あの方この方の笑顔が
浮かんできます。


半年お逢いしてなくても
一年経ってお目にかかっても
昨日もお話したような
親しみがわいてくるのです。


そういう心と心の結ばれが
どんなに嬉しく大切で
生きる力を与えてくれることでしょう。


二十一年の事業経営
いいえ、その前の生まれ育った年月にも
たくさんの人を愛し、愛されて
生きる喜びを知りました。


人と人との結ばれのありがたさは
親が子に残す最高の贈り物
真実の心のふれあいを
大切に生きてゆきたいと思います。

(1970.8.7)

 

愛の泉


真実ほど美しいものはないという。
けれど真実はみにくくむごいこともある。
「お母さん」
そう呼んで甘えてくれる頃は良いのです。
母も子も幸わせなのです。


でも、
かいなの中でいつくしんだ子が
手の届かないところへ行ってしまった時、
狂うほどに引き裂かれるのは
母の胸なのです。


夜遊びに出た高校生の息子を待って
病院にも行けず、家にしがみつき、
腎臓炎から尿毒症を併発して
亡くなったお母さんを知っています。


順調に一流高校へ進んだ子が
大学受験で浪人のあげく
酒におぼれ、遊びをおぼえ
心配のあまり失明したお母さんもいます。


なんとかまともに育ってほしい。
社会のはぐれ鳥にしたくない。
お母さんはい息もつまり、胸もふさいで
祈ったことでしょう。


ハイジャック乗っ取りの子供たち、
シージャックの警官に撃たれた子、
ヒッピーして寄りつかぬ子
みんな母親が産みの苦しみに耐え
育てあげた子なのです。


事件のたびにわたしの胸はいたみます。
母親の悲しみが
じんじん響いてくるのです。
社会への申し訳なさと
たちがたい罪の子への愛に
さいなまれていることでしょう。


けれどそういう子になったのは
お母さんだけが悪いのではないのですよ。
受験地獄が、エログロが、インフレが
大人でさえ耐えがたい
狂った社会のヒズミが、
純な心をねじ曲げてしまったのです。


生きがたい世なればこそ
わきいづる泉のように
砂漠のオアシスのように
求めない無限の愛は母のものです。


母という名の美しさ
母という名の哀しさに耐えながら、
愛の泉はつきることなく
強く生きてまいりましょう。

(1970.7.22)

 

 

捨て石


どんなに思いつめても
出来ない時は 出来ないもの。

今日の充ち足りた想いは
いただちや悲しい日があったから。

捨て石は けっして無駄でない。
捨て石はちゃんと生きている。

(1971.2.5)

 

 

ながい人生


たえきれなくて
投げてしまおう。

投げてしまえたら
どんなに心が安まろうか。

そう思いながら
気を取り直し努力をかさねる。

くりかえす間に力がつき
思いがけない道がひらける。

生きがいを持たなければ
長い人生耐えきれまい。

(1971.3.13)

 

 

想い


一つの想いにとらわれて
がんじがらめに心を痛める。

けれど、ものごとは人それぞれに
感じ方もうけとめようも違う。

ふと心をとき放ってみよう――
人は人、われはわれ。

たとえ夫婦、親子であっても
おかすことの出来ないその人の生き方。

愛情と思いやりが底にあれば
それ以上求めることをすまい。

(1971.3.15)

 

 

人間関係


「人間関係は、自分の姿のかがみ
部下が思うように動かないからと
怒るよりも、
若い足りなさをおぎない
成長を持つ愛情を
持ってやれば
よい目が伸びて応えてくれる。
胸をひらいて受け入れ、
相手の中に自分の姿をうつしてみよう。
結果を心配する前に思いきりやらせ、
そのかわり、
最後の責任は引き受けます。」
こう言った人がいました。

「ああ、あなたはそれだけで
立派な経営者。
大きい花も小さい花も
いろんな花を咲かせるのは愛情――
その生命を思いきり生かしてあげれば
しょせんちっぽけで
さびしい人間なんだから
感じ合えるものが生まれ、
美しい花が咲くでしょう。」
魂と魂のふれあいの大切さを
知っている人――

私はそんな人間関係を
とても大切に思っています。

(1973.7.14)

 

 

真実


投げた石はもどらない。
迷うことはすまい。
何が私をこうかりたてるのか。

真実をみつめ
真実を知らせることの勇気。――

誰も口をつぐみ
目をふさぎ
こそこそ話していたところで
それだけでは一歩の前進もない。

表面にあらわれた虚飾の
裏にかくされた事実を
冷静にみつめ
そして勇気をもって
解決にあたる。

それは大きな愛情。
みんなが幸わせになるために――

(1973.8)

 

 

こころ


とらわれた心を
ふりはらおう。

わだかまる想いを
抱いているのはよそう。

誰に訴えるより
自身の心の持ち方なのだから。

(1971.10.10)

 

 


喜びと悲しみはうらはら
嬉しくても涙はこぼれ
悲しくても安らぎが
心に満ちるときもある。

何かを求め何かを愛し
人生の旅路を
ひたすら歩く人びと。

咲かせた花は人それぞれ
華やかな花も
野花のようにいとしい花も
みんなせいいっぱい生きている。

誰にはばかることなく
自分の花を咲かそう
雨にも風にもめげずに。

(1974.11)

 

 

愛と涙


数しれぬ出会いがあり
数しれぬ別れがあります
人はそのたびに胸をときめかせ
悲しみに頬をぬらします。

幼ければ幼いなりに
愛を知れば愛のために
年老いれば
人生を味わいつくした
あきらめをもって
人はその心をぬらします

そうしてもろく悲しい
人生の愛は
いくえにもたたみこまれて
心の中に深い涙をたたえます。

(1974.11)

 

 

いとしきもの


陽の光があまりに 明るいから
空の色があまりに 澄んでいるから
小鳥たちの歌声が はずんでいるから
花たちがいのちの限り 咲いているから
涙がにじんでくるのでしょうか。

すべてのものが
一番美しいときを過ごしているから
きわまった姿の悲しみや
人生のいろんなことを 知りすぎているから
こんなにもいとおしいのでしょうか。

長い間耐えて いま光ふりそそぐ春を
全身にうけとめ
ただひたすらにうたいましょうか
いとしきものたちの愛の賛歌を。――

(1975.4.30)

 

 

ほんもの


この人はほんもの
必ずのびる人。――
そのひらめきを感じると
私はとことんほれこんでしまうのです。

二十五年の人間探訪の間に
たくさんの人を知りました。
ミニチュアやにせものの多い世の中で
ほんものは立派です。
堂々と生きています。

そしてわたしは
生まれも、辿る道も違うこの人たちに

 

流れている人間性は
同じ味わいを持っている事に気づきました

決断と行動は果敢でありながら
デリカシーがあって
思いやりがあって
涙を持っている人たち。――
いくつになっても純粋で
ナイーヴな感受性に満ちています。

真実心の底から愛し
心ゆるせる人たち。
生きがたい世に
こういう人たちと
めぐりあえた幸わせを
しみじみ思うこのごろです。

(1973.8)

 

 

転機


秋から暮れに
長い親しい友に
二人も先立たれ、
まして五つの女の子をおいて逝った人の
なんてはかなくて悲しくて。――


デパートのチーフデザイナーで
活躍していたのに。――
私の洋服を十年も創ってくれてたのに。
寒い風の中を泣いて泣いて
帰って来て
翌日から寝こんでしまった。


十月は次男の結婚。
十一月は受験生が眼を悪くして
病院がよい。
暮れの仕事がおせおせで
薬飲みながらの強行に
ほとほと疲れがでたらしい。


二年前にも弱りきったのに。
身体の限界まで無理はすまい
そう思いながら
仕事が順調であればあるほど
多忙をきわめる。


病気の時だけが休みなんて!
これからは楽しくゆこう。
自分のことも考えよう。
今年は私にとって
人生の転機かもしれない。

(1972.3)

 

 

春愁


あなたの好きだった歌を
くりかえし聞いていると、
あの時こたえてあげられなかった
心の想いが
鮮やかに浮かんできます。


人生のふれあいの中で
忘れ得ぬ思い出を
心の奥にいだいている。
それは星のきらめきのように
またたいています。


春が来て、夏が去り
秋が来て、冬が去り
また春がめぐってくる。
いつしか時は流れ
別れの日がきます。


人生は深い想いにいろどられて
今日もすぎてゆく。

(1975.5.3)

 

 

父の日に


「お父さんのような人と結婚したい。」
そういえるお嬢さんは
幸わせです。
理想の男性がそこにいるからです。


お母さんを大事にして
子供たちを愛し、
仕事にうちこむ姿のきびしさは
とても魅力的です。


だまって頑張っているお父さんを
大切にしてあげましょうね。

(1977.6.22)

 

 

父よ


妹をおんぶした父のタモトを
しっかりとにぎって歩いたわたし、
れんげ畑の散歩道が
今も絵のようにうかんでくる。


幼い時はこわくもあり
よりつきがたい父でもあった。
女学校の入学式のとき
しきりに眼がしらをおさえる姿が
不思議でさえあった。


心の中をさらけず
いざというときは
家族のために胸を張って
立ち向かう。
女は涙に
おぼれることが出来るけれど。――


人生の時をきざみ
男としての父の心を
思いやるとき
幾山河を越えるのは
辛かったろうと思う。


女の子は父の姿に
男性の理想を求め、
男の子は母の中に
理想の女性を求めるという。


孫をこよなく愛し
優しさだけの晩年の
父の姿は、
娘の心に焼き付いて
離れない。――

(1977.6.22)

 

 

父の手


あのお父さんも
このお父さんも
なんと家族を
大切にしていることでしょう。


むくわれることを考えず
ただひたすらに注ぐ愛。
それは空気のようで
時として忘れられそう。


でも母と子も
大樹のかげに寄り添うように
父のひろげた両の手に
かかえられて
生きる幸わせを感じているのです。

(1977.6.22)

 

 

一年先


昔は平気で
五年先、十年先を語れたのに
今は一年先のことを言うのが
おこがましい。
"生きていたなら"と
注釈つきでしか話せない。


精一杯生きて来て
生命の儚さ
一寸先の見えない人間の悲しさを
いやというほど知ったからか。

(1978.1.13)

 

 

心のひだ


道を歩いている幼児をみても
一心に歌っているチビッ子の姿をみても
ふっと涙がにぢんでくる。
一生懸命な人間にふれると
人生の素晴らしさ
生きていることのいとしさが
こみあげて
心のひだをぬらしてゆく。
それは悲しいというより
優しくあたたかく
私の胸にしみてゆく。

(1978.1.13)

 

 

幾山河


人を愛し、愛されて
すぎて来た日々
幾山河をこえ
たとえ嵐がこようとも
ささえあって生きて来た


小さなしあわせ守りつつ
双葉が大樹に育つように
花を咲かせ 実をつけて
生きて来た


これからの日々もまた
ふれあう人びとと
愛をかたむけあって
生きて行こう。

(1978.1.12)

 

 

 

 愛する


人を愛するということは
こんなにも弱々しく
悲しいものなのか
ほんの少しのことに
涙ぐむような心のふるえ。

(1978.1.13)

 

うるおい


心がうるおい
なつかしいものがこみあげてくると
いくらでも詩が生まれる

長い間かじかんでいた
深い想いが
陽だまりにとけて流れる
淡雪のように。――

 

 

人生


足りないことをせめるまい
いつか気づくことがあろう。


みんなそうして
人生の味を深めてゆくのだから。


流れるままにまかせればいい
ゆきつくところにゆきつくだろう。

 

 

妹よ


妹よ幼いときは
どこへ行くにもついてきて
うるさい奴と思ったけれど

妹よ 十八になった
お前の姿を写していると
花の開くようにきれいになった。


妹よ とまどいながら
青春時代にふみこんでゆく
お前のゆれる心がうつるよ


おどけて笑わせながら
幸せになってくれよと
祈らずにいられない。

(1978.3.8)

――写真を撮る三男、光仁の心をうたう

 

 

 

愛の花かんざし


札幌のホテルで
お土産を選んでいるとき
眼をうばわれたのは、
小さな花をうずめた
イヤリングやペンダントです。


深山に咲く花でしょうか。
すみれや鈴蘭や
いろいろありました。
ふと何ともいえぬいとしい
花がありました。


「愛の花かんざし」という名の
対のものでした。
娘の笑顔を飾るのを楽しみに
包んでもらいました。

(1978.9.13)

 

 

めざめ


こんなにも人の情けが感じられて
こんなにも人生の味が深くなって、
ささいなことに涙を流し
小さなことをいとおしみ、
すべてを赦し、すべてを愛し
怒ることなど忘れたように
「毎日を大切に生きよう。」なんて
こんな素晴らしいめざめを
知ることが出来たのは、
やっぱり大きな悲しみを
くぐり抜けて来たからでしょうか。

(1978.9.13)

 

 

 

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