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弊社の歴史

​本紙創刊・創業70余年を迎えて

 本紙『全東京新聞』は、平成30年11月15日に創刊70周年、平成31年3月3日に創業70周年を迎えることができました。

 会長 小田天界

民の為に盾となり、矛となる
​創刊以来の精神、受け継いで

 戦後の傷跡残る中、私の両親である元衆議院議員の先代小田天界、小田ミツが荒廃した日本国の礎として世の中を良くする為に正確な情報を庶民に届け、我が国の発展の一助にしたいと昭和23年11月15日創刊号を発行しました。

 「行政や力のある者が庶民を苦しめる事がある。

 民の為に盾となって矛となって民を守ることができるものが唯一新聞である

 『民為盾矛』(みんいじゅんむ)の使命感を持ち続け、誹謗、中傷記事で紙面を汚さない。

 『惚尽尚尽』(そうじんしょうじん)人に惚れて尽くして尚尽くし抜け、見返り等を求めない」

という高潔な理想を創刊以来貫いてまいりました。

暴力にペン一本で、立ち向かい勝利

 70年を振り返りますと、大手新聞による淀橋警察署(現新宿警察署)への誹謗中傷をGHQの審議に持ち込み弊誌の報道に真理有りとして淀橋署への中傷報道を止めさせました。

​ 新宿東口駅前整備において疎開者の復帰が規制された折り、暴力団と官権の癒着によるマーケット設営が設計され、それを阻止しました。『ペンは剣より強し』正に暴力に対しペン一本で立ち向かい勝利した実例です。

 昭和50年代、ホームレスの一人が京王百貨店前のバスに放火し、一瞬で乗客数名の命を奪うという悲惨な事件が起こりました。

 当時、私は消防団で現場の野次馬整理の縄張りをしており、女の子が『お父さんが帰ってこない』と駆け寄って来ました。指揮所に案内し、自宅でお父さんの帰りを待つようお願いしましたが、バスは黒焦げで御遺体は毛布にくるまれており、身元の確認も困難な状況であり、その時の無力感は今でも忘れられません。

 先代の小田天界は広島で生を受け、幼少期に沖縄に渡り、県議、衆議院議員となり上京しており、『広島の原爆で親戚を亡くし、終戦の沖縄で多くの友人を無くした。東京空襲では人が火に巻かれる中、生き延びた。自身の子のお前達が生きていることが奇跡であり、有難いことだ。天からの役割を担っていることを忘れてはならない』と常々申しておりました。

新宿西口のホームレス対策
​住民、働く人、来街者の生命守る

 平成に入ると、新宿駅西口地下にホームレスの青テントが何十張りも林立し、毛布や布団の上で煮炊きをしたり、盗みや商店への威力妨害が頻発しました。加えて支援団体がホームレスの人権や居住権を主張し西口地下街は無法地帯の様相を呈していました。

 地元商店街は商業権で対抗しようとしましたが基本的人権の前では無効でした。法務省の人権擁護委員長から『公共のエチケットを守れない者が人権を論ずることはナンセンスである』とお応えを頂きましたが、現場では通用しません。

実行力ある対策を
​区長に進言し、解決図る

 実行力のある対策を講ずるべく、小野田隆新宿区長に2週間限定だった越冬施設の通年化を進言し、23区長会に上程し東京都で支援施設作りに乗り出して頂きました。

 都の担当課長は本当に靴底を磨り減らして用地を探していました。ところが、支援施設を設定しようとすると地元からの猛反対を受けてしまい、『先ず、被害の大きい新宿で北新宿四丁目で三方を都と消防署関連施設に囲まれた場所を見つけたが地元の理解が得られなくて困り果てている』と話があり、『住民に迷惑のかからない方策を講じるから』との担当課長の確約の上、大島勇蔵町会長に直談判しました。

 区民の為、新宿の将来の為に一肌脱いで頂きたい旨申し入れ、快諾頂き、暫定10カ月の支援施設が設営され、一気に新宿駅西口地下のブルーテント撤去が動き始めました。残念なことにホームレスの失火により数名焼死されたことも行政が動いた要因の一つです。

 いよいよブルーテント撤去の日が決まりましたが、都は警察の出動は求められたものの消防への出動要請はしませんでした。

 灯油タンクに火をつけられる恐れがあり、新宿消防署長に相談すると、署長自ら現地に入り、緊急出動に供えて頂きました。小雪混じりの寒い日で。実際ポリタンクは飛んだものの大事には至りませんでした。

​ しかし東京都の職員、警察官の何名か軽症を負わされたとの報告があり、胸を痛めました。

行政と連携して活動
西新宿一丁目に災未防協

 この時、ホームレスの支援団体が『人権』を謳い掲げたことを教訓に、西新宿一丁目町会、同商店街振興組合に『災害未然防止対策協議会準備委員会(災未防)』を作って頂きました。これは、西新宿一丁目を安全な場所として確保し、住民、働く者、来街者の生命を天災、人災から守ることを研究・検討し、行政と連携して活動していく組織です。

 毎年、新宿警察署長、新宿消防署長、新宿区長らを講師に招き座談会を開催しています。長島忠美衆議院議員(元山古志村村長)、加納時​男国土交通省副大臣、鈴木孝夫SECエレベーターCEOら著名人にも講師をお務め頂いております。

国民の命を守ることを最優先に
​総合国際防災センターの設置に期待

 近年、大震災、津波、大雨、洪水、土砂崩れ等々、人智を遥かに超えた災害が多発化しています。​被災地の復旧、復興は勿論急がれるべきです。また、避難所生活の長期化も懸念されています。

 外国人観光客への最大の〝おもてなし〟は命を守って差し上げることです。そこで、総合国際防災センター設置を国土交通省の方々にご提案申し上げています。なかなか時間はかかると思いますが、国民の命を守ることを最優先に考えて下さることと期待しています。

新宿駅南口基盤整備事業
​新宿交通網の基礎確立へ

 話は前後しますが、ハワイ沖でえひめ丸が米原潜に衝突され将来ある若者たちが無くなる事件が起きました。海の管轄の国土交通省大臣室に赴き、初代の扇千景大臣にお目にかかり、亡くなった方々への米国からの弔意と謝罪を取り付けて頂くことをお願いしました。併せて、対当な日米関係を構築していただけるように沖縄等での地位協定の見直し、撤廃を上申致しました。

 その後、地位協定見直し議論が始まり、11年経って犯罪を犯した米国軍属を我が国の警察が逮捕できるようになりました。えひめ丸の被害者の方々の御霊に報いることが出来た思いが致します。

 扇大臣からはこの時、首都再生大一号案件として老朽化した甲州街道の架け替え工事と新宿駅南口の基礎整備事業が始まっているので、地元新宿のコンセンサスを得る上での協力要請を賜りました。

 建築省時代から老朽化した甲州街道の架け替え事業の事業実施を弊紙でも強く求められておりましたので、快くお引き受け致しました。

 歴代の国土交通省東京事務所の所長、事業対策官、現場監督官とミーティングを重ね、地元の実情、要望等へのご理解を賜りました。

 ①甲州街道上り車線の右折ラインの増設

 ②新宿駅東西自由通路事業実施と位置決め

 ③東京メトロ副都心線への地下連結通路並びに甲州街道出入口の設営

 ④新宿御苑貫通道路の事業実施

 基盤整備事業は昨年完了し、NEWoMan、バスタ新宿として多くの方々に利用されています。

大災害の被災地支援
​地元や民間企業と協力して

 近年の災害は予想外の大きさで甚大な被害をもたらしています。

 特に心に残る弊紙としての被災地への支援をご報告します。

 ①阪神淡路大震災

 西新宿一丁目町会の物資を神戸の長田に一週間後にお届けした。数ヶ月後、神戸の中学生からお礼の葉書きが届きました。〝2−3時間並んで支援物資をいただきました。西新宿一丁目の皆さんに感謝します〟との旨が書かれていました。

 町会にとっての宝物として保管されています。

 ②中越大震災の旧山古志村村長長島忠美衆議院議員に御指導頂いて、東日本大震災の被災地宮城県石巻市の野ざらしの御遺体509柱を回収し東京の葬祭場で荼毘して49日までに被災地のご遺族に帰しました。

 これは都内の葬祭場が協力しあっての作業で培った経験から厚生労働省、東京都に掛け合ったが快諾に至らず小生に相談に来られました。

 被災者、ご遺族の心痛に何とかお役に立てればと故長島忠美衆議院議員にご指導を仰いだところ、即座に国家公安委員長含め関係各所に連絡して下さり、搬送車両の改修許認可、道路の確保等々回収作業に必要な段取りをつけて下さいました。

 御遺体の探索、回収には岩手県県警本部長が陣頭指揮を取ってくださったとのことです。

 今後も、地元の皆様の忌憚のない御意見をお寄せいただき皆様と一緒によりよい新宿の街造りの一役を担わせていただきたいと願っております。

 新宿という街に小紙が70年余発行し続けてこられたことに改めて感謝を申しあげさせていただきますとともに、どんなに些細な事でも読者の皆様のお役に立つことが叶うならば、先代小田天界、小田ミツが空の上から微笑んでくれることと思います。

 今後とも先代の発行理念を肝に命じ、世の為、人の為になるように紙面作りに心血を注いでまいる所存です。